完璧主義を認めない自分。いや、認めたくない自分
最近、学校の相談室のカウンセラーにこんなことを言われた
カウンセラー「あなたに完璧主義な所はありますか?」
その完璧主義という言葉が妙に頭に残りその時は回答にとまどった
私「完璧主義なところもあると思います。」
確かに完璧主義な自覚は完全にあった、自分の失敗に対し、認めたくなかった、そのっ事実すら認めたくなっかった。
そこで私が口にした「も」という言葉を使った意味が自分でも分からなかった
いや、違う。
確かに完璧主義な自覚は完全にあった、自分の失敗に対し、認めたくなかった、その事実すら認めたくなっかった。
今までのうつへの対抗、うつへの原因を作り、脱却をより困難にした根本。
自分の行動、価値観、感情、に向け、責めた論理的な言葉が生み出す「赦し」を完璧に隠し永遠に続くトンネル。
その正体に足跡の存在をただひたすら隠してきた自分の存在に気づけた。
私はようやく暗闇の中に光る自分に目を向けることができた。
「赦し」これが暗闇の中で唯一自分を見ることのできる鏡、けしてなくしてはいけない。
これを握りしめ続けることこそが私により強い光をあたえる。
私はまだトンネルの腹の中なのだろうか